『胸郭出口症候群』というちょっと珍しい病気。その③ DAY122
コーチングで北海道を元気に!HAPPYに!!
コーチ美容師化計画目論み中☆どさんコーチ*ゆーみんです。
私の患っていた病気について書いています。本日は3日目。
長くてごめんなさい!もしご興味あれば、もう少しだけお付き合い下さいませ。
大失敗!!
何がというと、退院後の自宅での過ごし方です。
育休中だったので仕事に支障がないため、長女が離乳食が3食になるのを待って手術日を決定したのですが、1歳にもなっていない子供を置いての入院したことへのうしろめたさがあって、術後おそらく安静にした方が良かった時期を、無茶して過ごしてしまったんです。
寂しかっただろう時間を埋めるためにできるだけ抱っこしてあげました。
彼女は少しわがままを言って構ってほしい様子でよく私の手術した部分を
抱っこされながら押して突っ張ったりしていました。
すごく痛かった。
苦しかった。
辛かった。
だけど、誰にも助けてって言えなかった。
どうしてかって、
入院させてもらっていた私が、まして退院後も甘えて子供の面倒を頼むなんて
許されない事だと思っていたから。
寂しい思いをさせた愛する我が子のちょっとしたワガママはすべて受け入れてあげたいと思ったから。母に選択権なし!と思っていたんです。
「腕がついていない」感覚が続いたのは、ほんの数週間でした。
徐々にまた肩こりや首のこり、こりからくる頭のしびれや目の見えない状態が繰り返されたんです。もしかして、安静にしていても今の状態にはなったかもしれない。でも、術後の大事を取りたい時に、正直に完全に治したいと甘えられなかったことを、今でも後悔しています。
でも、そうなってしまった以上考えても仕方がないので、今はそこにフォーカスして悩むことはないんですけど。ちょっと腕を使うと痛みが走り、その痛さを我慢すればいいだけ。
そうなんです!私、
自分を大切にできないんです!
自己肯定感の低さはこんなところにも出ました。
私なんかが
私だけの理由で
他者を巻き込むなんてありない!
誰も、私のワガママを許してくれない気がしていました。
私の回復を心から願って休める環境を作ってくれる誰かもいないと思っていました。
迷惑ばかりかけて甘えるなんて、ありえないと思っていました。
もしかして、違ったかもしれないのに、自分で勝手にそう思い込んで
「手術をしたからって、私は自分ひとりで全てをやらねばならない」
と思っていました。(そして実際そうしていました。)
一番甘えられる実の母に、甘えられれば良かったのにな、と今では思います。
仕事をしている母に休みを取って手伝って欲しいとは言えなかった。
昔から母に甘えることをしてこなかったので、大人になって急に甘えるなんてかなりハードルが高かったんですね。
(今は甘えまくりですが・・・ ^△^;)
とはいえ!改善されたところもあります!
それはまた明日。
今思い返し、当時母不在を頑張って乗り切ってくれた幼い長女に改めて大感謝!
ゆーみん