四十にして惑う。選択の自由について。 DAY113
コーチングで北海道を元気に!HAPPYに!!
コーチ美容師化計画目論み中☆どさんコーチ*ゆーみん です。
論語にありますね。四十にして惑わず。
ワタクシ四十にして惑いまくりです。(苦笑)
「選択肢がない。」
と思うことが多い人生を歩んできました。決してそんなことはないのに!!
いつからか、『ねば・べき』思考で育ってしまったので、自分で選択肢を潰して
こうせねば
こうあるべき
を構築して大人になってしまったような気がします。
子供の頃、外食はほとんどしない家庭だったので、たまの外食が嬉しくて仕方ありませんでした。でも、よくよく考えたら自分の好きなもの、食べたいものを食べた記憶がありません。
そのレストランでの一コマを思い起こす時、一緒に思い出したのが母が家計簿をつけている姿と、「お金がない。」と言っていたこと。多分、そんなに頻繁に「お金がない。」とは言っていなかったはずなんです。でも、私がレストランで選ぶのはいつも一番安いメニュー。「好きなものを食べていいんだよ。」という母に、「これが食べたいの!安くてラッキーだね!」なんて健気な事を言ったりもしていました。
本当は違うメニューが食べたかったのに、母に気を使って好きなフリをして我慢したんです。『お金がかかるから安いものを選ばねばならない。私さえ我慢すれば親が助かる。』と思い込んで。そんな私の想いを知らずに好きなもの(結構高額なもの)を食べる兄弟に、「もっと気を使ってよ!」と腹を立てたりしていました。『私は長女だから我慢しなければならない。』あらゆる場面でそう思っていた記憶があります。
肝心な選択を迫られた時、逃げる理由にねばべき思考を持ち出したことあります。例えば、大学受験。本当は行きたかった学科がありました。でも、このセンター試験の成績では落ちるかもしれない。
私は浪人することは出来ないから、確実に受かる学科を受けるべき。
今となっては、「ウチにはお金がないから浪人出来ない。」と他人のせいにして、落ちるのが怖くて志望学科を変えただけの意気地なしの自分に気づきます。自分の行動を正当化したい気持ちがあったんだなぁ。
選択肢がないと思い込んでいた『ねばべき』思考は私にとって、苦しめられるものでもあり、助けてくれるものでもあったみたいです。
そして、すごく不思議ですが、
コーチングに出会ってから自分のことを振り返る時、以前よりもその時の自分の感情が思い起こされるようになったんです。しかも嫌な記憶だったとしても、ネガティブな形ではなく、冷静に受け止められるので、自分で自分を認められている感覚があります。
周りの人に驚かれるほど自己肯定感が低かったので(あまりに自分を蔑むので、嫌味に聞こえると言われたこともありました…)、かなりの変革です!セルフコーチング効果!!
あんな自分やこんな自分もいたよね、まぁその時はそう思っても仕方なかったよね。
自分にダメ出しばかりしていたのが少し緩んで、過去の嫌な自分も許してあげられそうです。
長くなったので、”選択”について考えるきっかけになった話はまた今度。
過去を許せるようになった自分自身に感謝☆
ゆーみん